ワズゥィーファとアマル الوظيفة والعمل

January 01, 2006
シリアが安全だということを説明するのに、シリアの人々はよく、夜中の3時に女性が子供づれで歩いていても安心な場所が世界のどこにあるかという。僕も、この説明はわかりやすいので、よく使ってきたが、夜中の3時という時間の意味自体が違うのではないかとこのごろ思い出している。
日本で夜中の3時というと、さすがに大半の人は寝静まり、起きている人も、ましてや表を歩いている人は数が少ないということが前提となる。そんな時間に歩いていても安全だといえば、確かに安全だ。その時間の東京が安全かと外国人に聞かれたら、このごろは安全とはいえなくなっていると答えざるを得ない。
これに対して、アレッポの夜中の3時。実はみな起きている。みなというのはやや大げさだけれど、概して夜更かしなのだ。木曜の夜などは顕著で、子供も含めて、多くの人々が確実に起きている。結婚式などがあれば、宴もたけなわの時間だ。夜寝ないのは、ラマダーンの月だけのことかと思ったら、そんなことはない。親に付き合って夜更かしした子供が、教室でボーっとしているなんていう光景は普通らしい。となると、夜中の3時といったって、みな起きている時間のこと。みなが起きているような時間に、犯罪が起きるようになったら、それこそおしまいなのだ。
しかし、なぜ、朝の礼拝をしてから、本格的に昼前まで寝るような生活が可能になっているのであろうか。いろいろな原因はあろうけれど、社会主義の機能不全の象徴ではないかと思えるのだ。この国の半数以上の人々は公務員として働いている。しかし、公務員の給料は、月に100ドルを少し超える程度だという。コンピュータを家に備えようとしたら、とてもではないが、不十分だ。そこで、副業ということになる。タクシーに乗ると、まれに、正則アラビヤ語をきっちりしゃべる運転手に乗り合わせることがあるが、学校の先生だったりする。
公務員の勤務時間が、8時半から2時半(だったと記憶)であるから、いったん帰宅して食事をして一休みした夕方からが、実入りのある仕事の時間なのだ。
アラビヤ語でいうと、昼間の仕事は、ワズゥィーファ(課題、宿題、職務)と呼ばれるのに対して、夕方からの仕事は、アマル(仕事)である。問題は、ワズゥィーファのほうは、国から割り当てられた公務員としての仕事であって、いや、仕事場といったほうがより正確かもしれない。そんなことを言ったら怒られるかもしれないが、大学を見ていると、一部の多忙な部署を除けば、仕事自体は、小一時間で済むものだといえる。
行っていれば、最低限の食い扶持は保証されるが、かといって、決してそれ以上のものにはならない。極端な例をひとつあげれば、仕事はしっかりやるので、11時からの出勤にしてという申請が通れば、彼は、11時からの出勤でも、業務には一切影響がないなんていうことが起きるのである。そんなファズゥィーファに効率や生産性の概念があるとも思えない。改善しようなんていう考えはついぞ出てこないことになる。見入りに関係ないという現実的な意味でも、アマルではないけれど、職業意識や職業倫理にも極めて乏しい。その点においても、アマルとは別のものになってしまっている。
あるタクシーの運転手がこんな話をしてくれた。火力発電所の建設現場で、中国人のチームと仕事をしたことがあるという。シリア側は公務員のチーム。中国人技師たちは、10時に寝て7時の朝食には、全員がきちんと起きてくるのだそうだが、シリア側は、10時就寝といっても2時3時で、7時なんてとても無理だったらしい。中国側がアマルとして取り組んでいたのに対して、シリア側は単なるファズィーファとして取り組んでいたということであろう。
このワズゥィーファがアマルにならないところに、当面の朝寝坊の原因があるのではないかと僕自身は睨んでいる。旦那が寝ていれば、奥さんは寝ている。そうなると子供は一人で何も食べずに学校に行くことになる。
今年中学生になった知り合いの子供が、今夜は徹夜なんだなんていうから、早く寝たほうがいいんじゃないのというと、「習慣だから」と言ってのける。早く寝たほうがよいのは、わかっているというし、夜中子供が表でボール蹴っていたりするのを預言者様が見たら泣くんじゃないの?といえば、きっとそうだと認めるのに、それでも「習慣だから。お父さんもお母さんも、兄弟もみんな起きてるから」という。身長は夜伸びるんだよといったら、少し神妙になったけれど、預言者は、すばらしい人だったんだという話に摩り替えられてしまった。預言者のすばらしさを語ることができることもさることながら、そこから何を学び、自分がそれをどう実践していくかがもっと大切なのに。。。この子においてもすでに、ワズゥィーファとアマルが乖離してしまっているのだ。
誰も起きていない夜中の3時にそれでもシリアが安全だといわれるような国になってほしいと願ってやまない。