「月」を見よ انظروا إلى ما يدل الواقع عليه

December 24, 2006
レバノンに滞在し、アラブ映画の研究を続けながらセント・ジョセフ大学で日本語講師を務める佐野光子さん(SFC研究所上席研究員)からメールをいただいた。そこには、親シリア派と反シリア派の抗争が、ついに家庭の中にまで持ち込まれて、家族の中でさえ無為な言い争いが起きているという、一発触発の緊迫したベイルートの様子が綴られていた。人々は精神的な内戦状態に追い込まれ、ベイルートが、あるいはレバノンという国が崩壊の危機にさらされている情景が目の前に広がった。
実はその前日、毎日新聞が反シリア派連合指導者のサアド・ハリーリー氏(昨年2月に暗殺されたハリーリー元首相の次男)との単独インタビューに成功したといって、顔写真入りでその内容を大きく伝えていた(12月23日毎日新聞朝刊(東京)13版2面)。そこでは、レバノンの破壊工作は、イランとシリアが黒幕なのだという主張が紹介されていた。もちろん、この主張は、レバノンの政治状況そして彼の立ち位置からすれば当然の内容なのだが、国民不在のヒズボラ批判、犯人探しの主張であることが気にかかっていた。外部のメディアに対しても彼らはその対立の構図の中でしかものがいえていないのである。
毎日の見出しはそれに輪をかけるものであった。『「イランとシリアが主導」』と4段抜きの見出しを掲げている。明朝白抜きのこの見出し、シンプルであるがかなり目立つ。黒の背景は深刻さを演出している。見出しにカギ括弧をつけそれが彼の言葉であることを示そうとしているところに、毎日新聞の良心を感じることはできるが、しかしながら、一般の読者はカギ括弧の有無まで気にするはずはない。もしもそこから受け取るメッセージがあるとするならば、「ここでもイランとシリアは悪者」といったところであろう。政治指導者の視野からもメディアの視野からも、そこに暮らす人々の視点が欠落しているのみならず、責任転嫁まで行なっているのである。
アメリカ型のオリエンタリズムを称して「中東の生き生きとした現実はついに語られない」と嘆いたのはエドワード・サイードの『オリエンタリズム』であった。オリエントの真実がいかに語られないのかを執拗にあぶりだし、アメリカを中心とする西側の政策やジャーナリズムに突きつけた問題は鮮明であったように思われる。サイードは20世紀の後半を代表する論客としてもてはやされたが、彼の主張が少しでも真摯に受け止められたのかというと、同じ間違いを、あるいはさらに増幅された間違いを犯してはいないであろうかと心配になる。9・11以降はオリエンタリズムに著しい偏重がもたらされたと筆者は見ている。翌日の毎日新聞の社説では、シリア黒幕説がにわかには受け入れられるものではないことが賢明にも指摘されてはいるものの、瀕死のベイルートの情景はとうとう浮かんでこないのである。
「あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている」。佐野さんが学部時代に研究していたイラン映画の巨匠、ムフセン・マフマルバフが、『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001年、105頁)の中で中国の諺として引用した言葉である。破壊された仏像ばかりに気を取られ、崩れ落ちた仏像が指し示していたものを見ようとしない世界に対する警鐘であったが、相変わらずわれわれは「指」ばかり見てしまう「愚かな」状態にありはしないか。せめて大学での研究だけは、「月」を扱うようにしたいものだ。