アルツハイマーの恐怖 خوفا من أرتهيمير؟؟

December 05, 2005
日本を出発する直前、物忘れのひどさに愕然としていた。さっき、記憶に刻んだはずのことを忘れている。やっておこうとしたこと、ふと思いついたこと、ものを置いた場所など気がつくと忘れてしまっていることが多くて、ひそかにアルツハイマーを疑った。原稿の締切りだとか、書類提出の締切りだとか、ほかにもいろいろ先延ばしにして、とりあえず忘れてしまっておきたいことも多かったからなのかもしれないと思いつつも、アルツハイマーの恐怖に戦いてもいた。
年のせいにしたくはないけれど、そうにでもしなければなんとも解決のつかない問題。勉強したこともこうして身につかぬまま忘れてしまうのか。アラビヤ語の語彙ももう増えないのか。留学を前に、ほんとうに最後のチャンスだと気を引き締めもした。アレッポについて、何より先にはじめたのが、クルアーンのタフシールの精読だ。このブログでは、おなじみのムサアブ博士に一緒に座っていただいている。
先日、カラム章の「アサーティール・アル=アウワリーン」という表現の解説から、アルツハイマーの話になった。(その経緯は後日に譲るが)
シリアにもアルツハイマーがあるという。ただし、驚くべきことに、非常に発症率が低いのだそうだ。しかも程度も重くないという。当然のことながら、その理由に話は及んだ。曰く「シリアでは、アルツハイマーの主たる原因は、飲酒や麻薬だと考えられている」。飲酒をするキリスト教徒でさえ、量を飲まないから、対して問題にはならないという補足までついた。なるほど、日本とシリアのアルツハイマー発症率を飲酒率と並べてみると何かが出てくるかもしれないと思えた。
さらに、「クルアーンをよく読む者は、理性が守られる」という主旨のハディースがあるとも教えてくれた。ここでも鍵は、クルアーンだ。そして信仰の強さ。心の底にまで届くテキストを覚え、声に出すことによって、理性だけでなく、たましいも養われるということなのだろう。そうすれば、おのずとアルツハイマーからは遠ざかることができるのかもしれない。
彼の知り合いに105歳になるシェイフがいるという。言葉も記憶もまったく普通の人と変わらないという。105歳の半分にも満たない僕がアルツハイマーなんておこがましい。たましいにまで届くはずの書が、きちんとたましいにまで届くよう、しっかり勉強していきたいと思う。