日本語スピーチコンテスト مسابقة الخطابة باللغة اليابانية

November 25, 2005
ここのところすっかり恒例になった在シリア日本大使館とシリアで日本語を教える先生たちの主催による「日本語スピーチコンテスト」のアレッポ予行練習会に参加した。朗読に3名、スピーチ(中級)に3名、スピーチ(上級)に2名の参加予定者全員が、本番さながらに、教室いっぱいの聴衆を前にこれまでの成果を発表した。予行練習とはいえ、会場から伝わってくる意欲と関心の高さ、そしてスピーチのレベルの高さにはほんとうに舌を巻く。日本センターで指導に当たっている青年協力隊の先生方の苦労の賜物だ。
それにしても学生の個性や才能が日本語や日本語の世界と共鳴したときにはしばしばはっとさせられるが、今回もいくつかそんな場面に出くわした。たとえば、シリア人は、単語の最初の母音に強いアクセントを置いて話すが、これが、最初の母音に強いアクセントを要求する日本語の単語と出会うと、ほんとうにきっちりと意味を伝えてくれる。わらしべ長者の朗読の中に「朝になると」ではじまる段落があったが、これがシリア人女子学生の澄んだしかも強い母音の発音で読み上げられると、すがすがしい朝がそこに広がる。日本語の控えめな言い回しが、シリア人のまっすぐな抵抗精神と出会うと、カッバーニーの詩にまさに、今のシリア人が政府に対して、社会に対してくすぶらせている内なる思いが静かに吐露されていた。
昨年ASPで来日したムサンナーさんも参加していた。上級のスピーチ。来日の際にえた並ぶことの大切さをモチーフにして「シリア人も日本人のように並ぼう」と訴えた。時間と努力が無駄にならない社会を作るために並ぶことからはじめようというのだ。並ばないのではなく、並べないシリア人という指摘には思わず首を縦に振っていた。社会を少しでもそしてできるところからよくしていこうという向上心が日本に出会って生まれた説得力だったように思われた。
ムサンナーさんは、シリア人が女性やお年寄りを大切にするというシリア人のよいところの指摘も忘れなかった。だからできるはずだとも。そのフレーズが読み上げられたとき、この6月に来日したバナナさんが、愛知万博の入り口の長く太い行列の感想として、「こんな万博ができるまでに国を育て支えてきた、お年寄りまで、若い人たち同様に並ばせるのは、いかがなものか」という感想を述べていたのが脳裏をよぎった。シリアと日本が出会うとこうしていろいろな新しい発見が次々と生まれてくるのだ。
さて、スピーチコンテスト当日。ダマスカスにまでは同行できなかったが、夜、引率のマンスール先生から連絡が入った。8人中6人入賞!快挙にマンスール先生の声が上ずっている。入賞を逃したのは、ムサンナーさんと一寸法師を朗読したイヤードさん。「何だと。食べてしまうぞ」のフレーズは、彼の優男風の風貌とは正反対の迫力だったはずだが。。。でも、こんなに力のある二人が入賞者外に控えているアレッポの日本語の実力、なかなかなものだ。あらためて、指導に当たった先生方、日本センターのスタッフの皆様に心からの敬意を表したい。
そういえば、わたしも審査員の升席を汚した第1回のスピーチコンテストの上級スピーチでの優勝者は、日本帰りの留学生、そして現在、われわれのマンスール先生とともにシリアの日本語の双璧とされる、クタイト氏だった。それがたった8回のうちに、ほぼシリアでしか学んだことのない学生たちが、スピーチを競うようになったことになる。シリア全体の日本語のレベルの向上が見えるようだ。
異なる言語や文化に触れることは自らをよりよく知る結果になることが少なくない。「シリア人は、モスクではしっかり並ぶ」。日本語や日本との出会いを通じてシリアの忘れ去られそうになっているよさを彼らが前向きに取り戻す契機にもなってくれればと願ってやまない。