アレッポで語られたミシマ الكاتب الياباني الشهير ميشيما مذكور في حلب

November 17, 2005
先日、文学部の授業のひとつに、招かれた出席した。アレッポ大学日本センターで日本語を学ぶ、というよりも、SFCのアラビヤ語研修でアラビヤ語の先生をお願いしている、修士課程の学生、ラーウィヤさんが、三島由紀夫を通して、日本文学を紹介するという。彼女からは、そのほかにも講演会などの誘いを受けていたが、なかなか予定があわなかった。申し訳なく思ってもいたので、今回はよかったと胸をなでおろしていた。しかし、出かけてみてびっくり。日本センターのマンスール先生に案内されて、担当の先生の部屋に通されたのはいいとしても、文学部長の表敬訪問までついていたとは。そして教室へ入ってみてまたびっくり。階段教室に、100人を優に越える学生たちが待っていたのだ。
ラーウィヤさんの発表に先立って、マンスール先生の日本紹介まで付いて、ちょっとしたシンポジウムの風情だ。大学院の研究会風の授業を予想していたが、前の晩に少しだけ三島について調べておいた。発表の後にコメントを述べることにした。
ラーウィヤさんの発表は、英語経由でアラビヤ語に翻訳されている二つの三島の作品を取り上げていた。着眼点は、ワアイ(意欲)とイラーダ(意志)。自分を動かす気持ちとその気持ちを着実に実現していく人間の姿を読み取ったのだ。そこに、イスラームにも通じるヒューマニティ(インサーニーヤ)を見出している。なるほどという感じではあるが、気になるのは、三島の最期との整合性である。
彼にワアイとイラーダが見出されたとしても、その果てにあったものは、何だったのであろうか。イスラーム的には決して許されない自刃という最期。敗戦後、三島の扱ったテーマにイスラーム的には決して認められないものも少なくない。天皇制の崩壊という現実を突きつけられ、そこに自己破壊という虚無しか見出せなかったということなのかもしれない。その意味において、三島の崇敬は最期までエンパラトーリーヤに向けられていたのであって、どうにもイスラーム的とはいえない。
にもかかわらず、天皇制にも三島を苛んだ虚無にも触れずに、三島から肯定的にワアイとイラーダを読み取った発表に、むしろラーウィヤさん自身の若きイスラームの文学者としての問題意識――というより、渇望だろうか――がよく表れていたと思える。
僕自身は、三島よりも、則天去私の漱石のほうが、よほどイスラーム的ではないかと思っている。彼のイスラーム理解は、トルコのホジャのざれ話(*)が原風景になっているのだが、にもかかわらず、国家にも、社会のしがらみにも、人間の欲にも縛られない思想が、そこに描き出されようとしていたように思えるのだ。
いずれにしても、アレッポ大学の日本センターの図書室におかれている図書を使って、大学院生がそんな講演を準備するようにもなったのかと思うと、センターも成長したものだと感慨深い。貴重な一歩を大切にしながら、一日も早く、日本語から直接読んで、講演を準備できるような研究者が育つ手伝いをしたいものだと思う。

(*)漱石は、イギリス留学中に、「「今日、山が動くぞ」というムハンマドの話を聞いて人々が集まったが、一向に山が動く気配がない。そこでムハンマドは「山が動かないなら、われわれのほうから動いていこう」といった」という話を聞いた模様。筆者は、この故事をさまざまに当たったが、クルアーンはもちろんスンナにも見当たらなかった。偶然、数年前のトルコ旅行で、ホジャの話としてまとめられた本の中に、この話を発見した。ホジャとは、憎めぬ翁で、そのあえてする愚行から、人生の知恵を諭してくれる。