トリポリの床屋 الحلاق الطرابلسي

November 16, 2005
アレッポ研修に参加したことのある人ならおなじみのアブーナッワース。ここのところすっかりお世話になっている。今日のワジュベ(定食)は、仔牛のトマトシチュー風煮込み。マッシュルームのクリームスープにサラダ、白飯とともに頼んだら、クレームキャラメルまでついてきた。給仕のおじさんたちがさりげなく親切で、居心地がよい。一人の食事のそっけなさもそこにはない。
さて、アブーナッワースを大通り(クーワトリー通り)へ向かおうとすると、一見廃墟に見間違う、コンクリートが打ち放された、すべてのシャッターの閉まったビルが目に入ってくる。まぁ、向かいの果物屋の鮮やかさとそのとなりのナイトクラブの看板の怪しさに目を取られていると、気づかずに通りすごしてしまうが。。。その静まり返ったビルの一階で唯一店を開けているのが、床屋。散髪用の椅子がひとつ、大きな鏡の前に置かれている。アレッポにしても質素なたたずまいの店である。
こういう店はなんだか気になる。アブー・ナッワースから、ネットカフェへ向かう途中に毎日通るたびに観察するようになった。色白でメガネ、恰幅のいい、僕から見ても親父さんという年恰好のおじさんが一人でやっている。たいてい人が入っている。この店構えで、しかしそこそこの客。腕がよいに違いないなんてことを考え始める。
アレッポでもっとも渋いなと思っている床屋は、アレッポの目抜き通り、バロン通りにある床屋。周りのオフィスやお店やホテルが次々と改装していく中で、おそらく50年来のたたずまいを守っている。昔住んでいたころ1回だけお世話になったことがあるが、おじいさんが一人で営業していた。この店は、残念ながら格子のシャッターが下りたまま。店の中も主人が営業したころそのままになっているのがわかる。バロン通りにふさわしい紳士然としたあのご主人は、ご病気にでもなられたのであろうか。
さて、話を戻そう。ここのところ、伸びてきた髪の毛が気になってもいた。ええぃ。入ってしまえと、昨日アブー・ナッワースを出ると同時に向かった。向かいの店で買い物をしていたおやじさんが私を見つけるとすぐに戻ってきてくれた。「東洋人のこういう柔らかい髪の毛わかるか?」と一応確認。「わかってる」とおやじ。こういう早合点が危険なのは百も承知だが、おやじの表情に商売人くささがない。頭を預けることに決めた。
床屋さんがよくしゃべるのは万国共通であろうか。大シリアの話を書いた翌日に、フェニキア人の話をいきなり聞かされたのだ。つまり、代々トリポリレバノン北部の都市、アラビヤ語でタラーブロス)出身の彼は、アレッポに住みながらもレバノン人(正確にはトリポリ人)意識を強く持っているという話を始めたのだ。そしてそのよりどころがフェニキア人。彼の中でのアラブは、アラビヤ半島に出自を持つ砂漠の民。シリアもエジプトもイラクもそもそもアラブではないのだから別々なのは当たり前なのだと主張している。
話は日本人の宗教にも及んだ。日本人は、太陽を神と崇めている。太陽を神とする民は、太陽の照らし出すものを信じる。つまり、見えるものだけを信じるのだと。これは、床屋にいながら、なんだか良質な文化論にこんなところで出会えた気がして、おやじのはさみが妙に気持ちよさそうに音を立てているのも気にしないことにした。見えるものを信じる宗教は、わかりやすいのだという。発展につながりやすいのもそのせいだという論調だ。
それに引き換え、イスラームの教えは、見えないものを信じろという。アッラーも天使も最後の日も決して見えはしない。それに、預言者が亡くなった後の政権争いで、カリフたちが相次いで殺されてもいる。そういう宗教なのだと解説までつけてくれた。
これ以上しゃべらせるのは気の毒と、私は、自分がムスリムであることを伝えた。すると今度は、イスラームが万有に対する教えで、人種や民族に分けてはいるものの、敬虔さ以外に人を分けるものはないという、僕も講義でよくするくだりが始まった。おやじのはさみはますます早くなっていく。鏡を見るのが怖い僕。それでもとにかく、フェニキア人がどうしたという話は、もうとっくに吹っ飛んで、すっかり打ち解けた空気に包まれた。
ここの人々は、たとえ、人種や民族が違ってもこの空気が共有できるはずなのだ。だから、レバノン人のレバノン人性やシリア人のシリア人性、イラク人のイラク人性を際立たせようとする圧力には、本当に警戒したい。それは、ここに人々に不必要な分裂と敵対意識をもたらすからだ。
おやじのはさみが止まって、新しい刃に取り替えてかみそりを数箇所簡単に当てるとできあがり。おやじにいくらかを聞くと、お前が決めろという。相場を知らないわけではなかったけれど、そっちで言ってくれと頼むと、ちょっと考えて150といってきた。150は、ぼくが万が一チップを払わなくても、あるいは値切ってきても決して相場を割らない代金。講義代とはいわなかったけれど、50を足して払った。
来年の6月にはシドニーへの移住を計画しているというおやじさん。今日も店の前で挨拶交わしたけれど、かすかに立ってしまった脳天に近いところの髪の毛に気づいただろうか。できれば、髪が伸びる前に、そして髪が伸びてからもう一度、おやじさんに頭を預けようと考えている。