ベイルートにて بيروت

November 14, 2005
ベイルートに出かけてきた。ベイルートの名門、セントジョセフ大学に日本経営、経済講座を開講する話が具体化し、SFCからご登場願った花田先生に会い、今後についてセントジョセフ側の担当の先生方と打ち合わせを行うためだ。
それにしても、時のたつのは早いもので、前回の訪問からすでに1年以上が過ぎていた。いまはセントジョセフ大学で日本語講座を孤軍奮闘で、立ち上げから教材の準備、授業、コースの運営に大活躍の三枝奏さんの研究発表を、前回は地中海に沈む夏の終わりの夕陽に照らされながらみなで伺った。そのとき滞在していたのが、西ベイルートムスリムが多く住む地域のダウンタウンである。僕はホテルの前で、一見のんびりとしかし虎視眈々と客を待つタクシー運転手にレバノンを見ていた。一見のんびりの部分が、シリアと重なって、確かにかつては大シリアと呼ばれただけの連続性は今も確認できるななどと一人で合点がいっていた。
今回の滞在は、前回の訪問以降、関係が築かれつつある(三枝さんどうもありがとう)、セントジョセフ大学が用意してくれた。場所は、キリスト教徒中心の東ベイルートの中心、アシュラフィーエであった。空き時間に三枝さんの案内でショッピングコンプレックスを見せてもらったが、これは、グローバル経済の落し子のような代物。ベイルートにこんなものができているのかという驚きと、西側の大都市であればどこにでも見出される、見慣れた整然さに安堵を覚えた。
信号の数が、より正確には、きちんと作動している信号の数が極端に少ないのもベイルートの特徴なのだそうだが、ここの街では、自動車が歩行者に道を譲っている。世界の高級車の勢ぞろいにも驚くが、これらは、エゴを控えるすべも知っているかのようだ。自動車の世界からみれば、明らかに成熟した民主主義がある。(だからというわけではないだろうけれど、タクシーは高い!)
ベイルートが圧倒的に西側を向いているのは自動車の世界だけではない。セントジョセフ大学もまた同様で、フランス系の私立大ということはあるけれど、授業はフランス語、花田先生の講義の担当者もフランスの大学で博士号を最短で取得して帰国したての若手のホープといった女性教員。同大学の情報科学専門の建物群はベイルートと地中海を見下ろす陸の上に居を構え、ベリテックと名づけられている。
そんな、圧倒的に西向きのこの大学に東を見ろといったのが、日産のカルロス・ゴーン社長だという。去年の夏にわれわれをこの大学に紹介してくれた在レバノン日本大使館の文化担当官佐川氏の話によると、カルロス・ゴーン氏は、同時にこの大学の評議委員。彼が、日本の経済、経営について学びなさいという話をしたのを受けて、大学側が学長以下こぞって交流の相手を探していたのだという。そういう流れの中で、日本語講座が今年の初めから立ち上がり、それに引き続いて、今回の経営、経済講座へとつながっていった。セントジョセフ側は、さらに交流を活発化させたい意向。ASPレバノンから三枝さんの学生を招く日もそう遠くないかもしれない。
それにしても、日本を見なさいといったら、その日本側の担当者が、シリアからアラビヤ語をしゃべりながらやってきたというのがなかなか楽しいと思っている。レバノン人にとって、シリア人というのは、自分たちが決して振り返ってはいけない過去みたいな感じがある。正則アラビヤ語など、レバノン人の日常会話では死語に近いかもしれない。ベリテックを訪ねたときなど、日本人が、われわれですら戻ることのない「アラビヤ語」をしゃべるなんてなんて珍しいって感じで、アラビヤ語でしゃべることを歓迎してくれた(誤解のないようにいっておけば、十分に理解はしてもらえるのだが、彼らはしゃべれないということ)。日本と中国の感じと少しだけ似ているといえば、わかってもらえるだろうか。
そんなことを言えば、レバノン自体が日本ととてもよく似ている。勤勉で実利的な国民性、あちらがヨーロッパなら、こちらはアメリカ。あちらがシリアならば、こちらは中国。しかし、SFCにしてすでにそうであるように、世界の知恵をくまなく集めなければ、時代を先導する変革も、持続的な発展もありえない。日本と交流しようとしたら、イスラームの専門家がやってきた。来月は中国の小島先生が、セントジョセフで講義を担当される。セントジョセフ大学にSFCのそんな総合性が伝わってくれればいいなと考えている。