イードの初日にفي يوم أول عيد الفطر

November 05, 2005

イードの初日は、人間の安全保障に関するシンポジウムにシリアから参加することになった。シンポジウムの当日がイードの初日にあったというほうが正確だ。ポリコムというテレビ会議用の機材で、三田のグローバル・セキュリティ・センター6階の大会議室とつなぐ予定であったが、会議前の3日間、一日数時間を使ってあれやこれや実験を試みたが、結局、電話でつないで、画像はメッセンジャーで送るという最もプリミティブな方法に落ち着いた。

私がシリアへ持たされた機材は、グローバルIPが取得できれば問題なく作動するものであった。しかし、それが取得できなくとも、日本の側からかけてもらえば、接続は理論上可能である。しかし、大学にしても、市中のネットカフェにしても画像のやり取りは厳しく制限されているという現実が、実験を重ねるたびにはっきりと浮かび上がってきた。それならば、グローバルIPをということになるが、これを個人が取得することがシリアでは禁止されているという新たな事実が浮上。もちろん、正確には調査が必要だが、拠点に使っているコンコルドというアレッポで最も太い線を持つインターネットカフェの技術者の話によれば、依然はグローバルIPを配られていたが、今は政府が取り上げてしまったという。シリアではどこに行っても手に入らないという話であった。

シリアをはじめとする中東の情報政策を専門にする博士候補の山本氏から、申請によって取得可能と教えてもらっていたが、ここのところの国際情勢に影響されてそのあたりが変更されてしまった可能性は十分ある。いずれにしても「シリア中で禁止されている」という説明を会議日の前日、しかもラマダーンの最終日に受けたのでは、どうにも動きはとりようがない。(ちなみにいえば、ISDNがあればつながるはずというサジェスチョンがあったため、その検証に必要以上に時間をかけてしまったもの結果的には時間が足りなくなる要因となってしまった)

20分の報告、20分の質疑が予定されていたが、われわれの電話回線は、20分程度つながったものの、後半は、音質が落ち、だいぶ聞きづらくなっていったという連絡を、同時につないであったメッセンジャーから受け取った。「イスラームの復興を」と叫んだ(音が悪くなっているというので)ところで、ぶつっと切れてしまったとのこと。(授業中にイスラームの話をしだすと、厚木基地の米軍機の騒音で何も聞こえなくなるなんて経験をいくどとなくしている自分にとっては、「ここでもまた」っていう感じであった)。

慶應義塾の技術力をもってしても、このさまである。デジタル・ディバイドの向こう側の現地の声というのは、ほんとうに聞き取りにくいということなのだ。数日前のティシュリーンの風刺漫画に、アラブに向かって大声でしゃべっている地球を模した頭をした西側メディアの脇の下に「真実」が畳み込まれてしまっているというのがあったけれど、他人事ではない。グローバルIPがなければ、声が届かないのだから。。。デジタルなネットワークの外側にもまた伝えられるべき真実はあるという事実を改めて思い知らされた。

ラマダーンあけて、いかがですか」という質問が、司会の総合政策学部学部長の小島先生から出た。「ラマダーン明けを素直に喜べないというのが正直なところ」と答えた。今年のアレッポでは、今まで知らなかった、イスラームセーフティネットがほとんど機能していない貧困層の存在を確かめると同時に、よりいっそう伝統的な形で(あるいは、今までになかったような利己的な形で(これは僕の思い過ごしであってほしいと願うばかりだが))ラマダーン月を過ごす人々を同時にみてしまったからだ。

持たざる者が生じるのはやむをえないが、それを切り捨ててはいけないというのが、イスラームの教えであろう。イスラーム文化の首都とされるアレッポにしてこの厳しい現実。しかし、切捨てが許されないのは、われわれの研究でも同じこと。イードの初日に途絶えがちな電話でシンポジウムに参加。それでも、何とか声が届いたことに将来をつなげてみる、今年はそんなイードなのだと思う。

(今回の実験、すぐに使える結果は出なかったけれど、現状を認識し、今後を考える上ではほんとうに貴重な試みになったと思う。三田で連日遅くまでお付き合いいただいた博士課程の福山君、Gsecの鎌倉様、そして技術者の皆様、シリア側で同じ時間接続に奔走してくれた修士課程の植村さん、さらにアレッポ大学日本センターのマンスール先生、バナナさん、機械工学部のジャミール先生、院生のヌールさんをはじめ皆様に心より感謝申し上げたい)