ルーフ(霊)を養う

October 28, 2005
アレッポラマダーンでさぞ「霊的生活」を送られているのでは」というメールをイスラーム教徒の親しい友達からいただいた。「霊的生活」という言葉からは想像もつかない「霊的生活」を送らせてもらっているのが、今年のラマダーン月のアレッポ滞在のように思われる(アル=ハムドゥリッラー)。
ここのところ気になっているのが、アレッポ内の貧富の格差である。10年来の付き合いになるムスアブ医師との勉強会の今回の場所が、アレッポでも有数の貧困地区に構えられた彼の医院になったことに端を発する。バーイス(悲惨な)というのが合言葉になってしまっているほど、彼の医院のある地区、カラム・ダアダアの状況はひどい(前々回の記述を参照してほしい)。しかし、そのカラム・ダアダアが5つ星に思えるほどの地域がその後ろに控えているというので、車で訪ねてみた。
確かにひどい。みすぼらしい、薄っぺらのレンガをつなぎとめただけの家がひしめいていた。ザカーをもらって当然の人々だが、いきわたっていないのが現状だという。それならば、今年のザカーはここに払おうと決め、ムスアブさんにその旨を伝えた。
アレッポのザカーは、個人を通じて行われる場合、自分の親戚筋に渡される場合が多く、そうでなければ、近所の貧困者ということになる。アレッポでは、大体同程度の経済状態の人々が同じ地区に住んでいる場合が多いので、隣人としてのザカーでは、貧困地区にまで行き渡らない。そこをつないでくれるはずなのが、慈善団体ということになるが、30余りあるとされる慈善団体については、信用がいまいちなところがあるらしく、そこにも多くは期待できないのが現状のようである。
アレッポ篤志家の中には、ザカーの分配を託され、貧者や必要者にザカーの分配を行っている人がいる。私の先生もそうした一人で、彼の家の一階には、オリーブオイルの一斗缶や紅茶の箱がたくさん置かれている。いろいろなつてで、紹介を受けた人がこれらをザカーをして受け取りに来る。シャリーアの学生のためにと商人から託された現金が学校の財務担当者に引き渡されるのも彼のところである。
その彼にカラム・ダアダアの話をしてみた。すると、非常に喜んで、早速ムサアブさんに、必要分を教えるよう連絡が取られた。彼の倉庫の物品は、慈善団体に不足が生じたときに役立てられることもあるという。
ムサアブさんは、地元をよく知る医院の入っているビルの一階の不動産屋に相談。翌日には25家族のリストが出来上がっていた。子沢山なのに父親がいない家庭や父親が病気で働けないなどの家族だという。このうち15家族には、翌日ムサアブさんの手から、オリーブオイルやお茶などのザカーが配られた。
私のザカーもそれと一緒にと考えていたが、ムサアブさんから相談があった。彼の知る患者で、1ヶ月2万シリアポンド(日本円で5万円弱)の薬を必要としている2人姉妹がいるという。神経関係の病気で一人は2年、一人は3ヶ月来の寝たきりの状態を強いられているという。お金も払いつくしたとのことで、ここ一ヶ月は必要な薬が与えられていないという。カラムの人々に予定していた分は、そちらにまわすことにした。ほんとうに気がつけば不足だらけなのである。
そして昨日、残りの家族にザカーを渡しにいくことになり、私も同行した。名前を連絡してくれた男性の案内で、出かけたのは、カラム・ダアダアの奥。持参した10家族分のお米、お茶、石鹸はあっという間になくなった。「誰々さんもいる」という声が上がると誰も否定できない。もう1箇所回るはずだったが、そこで今回の持ち合わせは終わってしまった。砂漠に水をやっている状態なのかもしれない。
そこはスラムではない。医療と教育は無料をうたう憲法を持つこの国では、一応、医療も教育も受けられることになっている。しかし、彼らの状態がバーイスであることに変わりはない。そうした貧困地区出身のタクシーの運転手が言っていた。「ザカーを払う人々が、もっと自分たちの目で現状を確かめて、直接自分たちの手でザカーを渡してほしい」と。
ザカーは、イバーダートの重要な一角を占める。イバーダートは、ルーフ「霊」に栄養を与えるものだ(飲食が身体を、知識が理性を養うのと同じように、イバーダートはルーフを養ってくれる)。アレッポで、こういう形でザカーに参加できていることが、今年のラマダーンの霊的生活ということになりそうだ。少しでも求められる形でワージブを果たしていく。それは、おそらく、タラーウィーフやイアティカーフでは得られないことだったのかもしれない。