宗教で بالدين

October 23, 2005
今回もまたダマスカスから運転手つきレンタカーを借りてアレッポへ向かった。ラマダーン中の金曜日の午前中、ダマスカス空港からアレッポへの道は、本当に空いていた。途中、給油のためGSのよったもののいつもならホムスあたりでとる休憩もとらずに走りに走ると、3時間15分でアレッポグラナダホテルに着いていた。ホンダレジェンドが150から180キロで走ったのだから、実はもっと速かったのではないかと思えるほどだ。
車中で運転手のハーリドさんといろいろと話が弾んだ。その中で、家族のつながりを大切にしているという話が出た。この間も親戚をすべて呼んで大食事会をしたなんて話を聞かせてくれた。そのとき、家族の個々がつながっているという文章に、「宗教によって」というフレーズが添えられていることに気づき、はっとさせられた。
家族が大切は、日本人でもいう。大学の講義で、あなたが最も強く帰属意識を感じるものはという質問を投げかければ、圧倒的に「家族」という答えが返ってくる。そう、「家族」が大切だというのは変わらない。しかし、日本人の場合、家族の絆は、「家族であること」でしかないのではなかろうか。日本人の家族について話をしたけれど、「宗教による」絆でつながる家族を持つ人々からすると、内向きで排他的でもありそうだし、あやふやで壊れやすく見えたようだ。
宗教によってつながることができるのは、実は家族だけではない。イスラームの教えは、さまざまなアイデンティティの壁を乗り越えて人間同士をつなげてくれる。この解放性があるからこそ、家族のつながりを導き、より長く続くようにしてくれるように思われる。が、その一方でさまざまな火種がここそこにあるのも事実である。レバノン・シリア問題、パレスチナチェチェンイラク・・・、そして、前回触れたアレッポ内部にもある南北問題。。。ビッディーン(「宗教で」)による一人一人の生き方が試されているのではなかろうか。