ユダヤ人とは、「悔悟して真理に戻る人々」である

May 30, 2006
アラビヤ語を訳していて時々思うことだが、ハンス・ウェアは収録の語数が多くて頼りがいのある辞書だけれど、それだけにそこに何かがあると、大きな誤解やすれ違いが生じてしまうと。遅ればせながら、それについて、ひとつ発見があったので、報告しておきたいと思う。
 それにしても「ユダヤ人」、とくに「イスラエル人」は困った人たちである。パレスチナの一般市民に対していまも攻撃の手を休めない。一般市民にミサイル攻撃はない。今日もアル=ジャジーラのニュースは、昨日のミサイル攻撃で命の落とした人々の葬儀の様子と、「シャロン後もシャロン時代以上に強硬だ」「イスラエルはいまの形のパレスチナには独立を認めたくないのだ」という現地からのコメントを伝えていた。強迫観念にかられたといういうべきか、この執拗なまでの敵対と攻撃は、イスラエルという国家の成立自体に正当性に欠ける部分があるという事実とは別に、ユダヤ人の法がもっている、攻撃性に思い至らないわけにはいかない。
 カラダーウィーの解説によるユダヤ人の法では、ユダヤ人以外に対する殺戮、略奪、搾取は、許されると特質があるという。選民思想の裏返しである。「盗みをしようとして塀に進入しようとしている者は撃ち殺してしまっても罪にならない」というルールも出エジプト記にはある。後に「ユダヤの教えを完全なものにするために遣わされた」イエスのもたらしたルールが、極端に救いと安らぎに満ちていることが示すように、ユダヤのルール自体は、苛烈で厳格なのだ。「ユダヤ人は、他人を許すことも認めることもできない。キリスト教徒は、他人を許し、不寛容に対してもなお寛容であり続けようとする人びと」だと、ぼくは思っている。
 すでにいろいろなところで述べているように、クルアーンでは、罰することも許すこともできる。ユダヤの教えがテーゼ、キリストの教えがアンチテーゼなら、イスラームの教えは、ジンテーゼだ。クルアーンに下されているユダヤ人の物質主義は相当なものである。モーセ十戒を授かって民のもとへ戻ってみると、金色の仔牛を祀ってそれを崇拝していた。モーセは怒った。やりきれない。怒りがようやく収まると、仔牛を崇拝していなかったものの中から70名をつれて、神に謝りにいくことになる。ところが、約束の場所に着くと、この70名が、モーセに迫る。「神の声がききたいと」。モーセが呼ぶと山全体が雲に包まれて、70名は、モーセが神と話しているのは聞く。すると、次は「みたい」と言い出す始末。これには神が怒って、彼らは天からの火に襲われ焼かれてしまう。彼らが死んでしまうとモーセが起き上がり、アッラーに泣きながら訴える。「イスラエルの民になんといったらよいのでしょうか。あなたは、最善の者たちを滅ぼしてしまったのです」。モーセは彼らの復活を祈り、一昼夜して、アッラーは彼らを再び生かしたのである。(雌牛章55・56、サフワおよびイブン・カスィールの注釈)。そして神に対するモーセの言葉、「わたしたちは悔悟してあなたに戻りました」が発せられる。
 この、「悔悟して神に戻る」という動詞が、「ハーダ」であり、その未完了形が「ヤフード」となる。ここで、「ハーイダ」という現在分詞の形をとっていないから、「悔悟して戻るかもしれないし、戻らないかもしれない」というのが、「ヤフード」の意味になる。モーセは、「ホドゥナー」つまり、「わたしたちは悔悟して神に戻りました」と言ったのだが、その思いとは裏腹に、アラビヤ語的には、ユダヤ人は、未完了形のままに置かれている。
 ところで、ハンス・ウェアーで、「ホドゥナー」つまり「ハード」を調べても、「ユダヤ人になる」とは出てくるが、「悔悟して神に戻る」という意味がそこには書かれていない。手許にあるアラビヤ語アラビヤ語辞典「ムアタマダ」には、「悔悟して真理に戻る」という意味がまず記されている。しかも、ヤフードの語も、ハーダの見出し語の下に収められている。もちろん、ユダヤ人の語義を上のクルアーンの話から知っていれば、ハンス・ウェアーで十分であるし、ユダヤ人の語源は、「ヤハベ」にあるという考えももちろんあるので、アラビヤ語からの理解がすべてではない。しかし、クルアーンもアラビヤ語も知らない人――だからハンス・ウェアーの厄介になるわけだが――には、ホドゥナーやハーダの意味も、ハーダとヤフードの関係も見えてこない。
 このハンス・ウェアの記述が意図的なのかどうかは別としても、ホドゥナーの意味を正しくたどれないのは問題だ。パレスチナ人に対するイスラエルの攻撃は、物質主義や厳罰主義や過酷主義、つまり、モーセが「ホドゥナー」という前の主義主張に囚われたままのようでさえある。せめて、イスラエル人自身にも、また周りにも、彼らが天からの火に討たれながらも復活を許され、このモーセの「ホドゥナー」の使命を未完了形ではあるけれども背負った人々なのだという認識が、もう少し強くあってくれれば、事態は変わるのではないかと思いたいものだ。